なんでなんだろう。〜バッタンバンのキリングフィールドを訪れて〜

もう二ヶ月ほど前。

外大からうら若き後輩ちゃんたちが、バッタンバンに遊びに来てくれた。

彼女らとスタッフと一緒にバッタンバンのキリングフィールドに連れて行ってもらった時のこと。

 

感情が溢れ出してしまった。

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その時のnoteがこちら。

note.mu

 

1年前に訪れたプノンペンのときとは違って、

カンボジアで大切な仲間がいる、っていう意識がある今、

もうそれは  "歴史上のデキゴト"ではなくなってた。 

 

いつも元気をくれるスタッフや村のおっちゃんおばちゃん、

本当に彼らの身に起こったことなんだ。って今更感じて、感情が溢れ出してしまった。

 

でも、かっこいいおじちゃんやおばちゃんたちを見てるじゃないか。

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このときの感情は忘れない。

 

だけど、今は当時とは少し違っている。

 

カンボジアのスタッフは

内戦時代にジャングルで生き延びた経験、

家族を失った経験を語ってくれるけれど、

 

毎日カンボジアをよくするために一生懸命頑張ってる。

 

 

村の人たちには、戦争が残してった地雷で

体の一部を失ってしまった人もいるけど、

 

憧れるくらい、力強く生きてる。

 

それはもう、こっちが元気をもらうほどに。

 

過去を知ることは大事だけど、私がくよくよしてたってなんも意味ない。

 

だって、

私には想像もできないような壮絶な過去だけど、

 

そんな過去を持ちながらもとっくに前向いて進んでるもん。

 

ポル・ポト時代と内戦を描いた映画「First, They Killed My Father」を見たときも、

www.youtube.com

 

西アフリカの子ども兵を描いた映画「Beasts of No Nation」を観たときも、

(今は怖すぎてTrailerすら観れない。)

www.youtube.com

心が痛かった。痛めまくった。

 

そして

キリングフィールドに行ったときと同じことを思った。

 

 

なんで?

 

 

って。

 

なんで、こんなことになっちゃったんだろう。

同じ人間同士で

誰も傷つきたい人なんていないのに、

子どもまで巻き込んで。

 

 

でも心痛めてるだけじゃなんも意味ないってやっと思えるようになって、

 

過去を抱えながらも、めちゃくちゃかっこよく前向いて進んでるなら、私はそれのお手伝いをしたい。

 

おっちゃん、おばちゃんらが、傷を負いながらもめちゃくちゃ力強く生きてるんなら、私は彼らの力になりたい。

 

それどころかいつも元気をくれるみんなに、恩返しがしたい。

 

って今は思ってる。

 

思ってるし、私がいさせてもらってる環境は、元からそんなスタンスだ。

 

過去だけじゃなく、未来と今を見て、一人ひとりのチカラを信じている。

 

私にできることはなにか、考えてかないと。